大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所岩見沢支部 昭和42年(わ)30号 判決

主文

被告人を罰金四、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

公職選挙法の選挙権及び被選挙権を停止する期間を二年間に短縮する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人は昭和四二年一月二九日施行の衆議院議員総選挙に際し、北海道第四区から立候補した議員候補者日本共産党豊島俊男に投票を得しめる目的をもって、別表記載のように、同月一五日頃から同月二五日頃までの間、同選挙区の選挙人である三笠市幾春千住町猿田アパート内山田とみ外七名方を戸別に訪問し、もって選挙に関し戸別訪問をしたものである。

(証拠)≪省略≫

(法律の適用)

被告人の判示所為は公職選挙法第一三八条第一項、第二三九条第三号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その罰金額の範囲内で被告人を罰金四、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条により金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

公職選挙法第二五二条第四項により、同条第一項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を二年間に短縮する。

訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文の規定を適用して、全部被告人に負担させる。

(弁護人の主張に対する判断)

本件に関する弁護人の主張は後記のとおりである。

弁護人の主張一、について

当裁判所は公職選挙法第一三八条第一項に定める戸別訪問禁止の規定が国民の憲法上の基本権である表現の自由を不当に制限した違憲の規定であるとの見解にとらないし、また、右規定の構成要件として、表現の自由を制限する一般的基準として主張される「明白かつ現在の危険」の原則が含まれていると解さない限り、当該規定が違憲性から解放されないとする見解にも賛意を表することはできない。

その理由は次に述べるとおりである。

公職選挙法の定める戸別訪問禁止の制度は大正一四年法律四七号による普通選挙法施行以来採用されて今日に至ったものであるが、この間、現行公職選挙法制定の際に同法第一三八条第一項但書に「公職の候補者が、親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にある者を訪問することは、この限りでない。」旨の例外規定がおかれた。しかし、この例外規定のため、選挙人としては一面識もない候補者、選挙運動者がいちいち自宅や勤務先などを訪ねてきて迷惑を受けることが少なくなく、候補者においても、多少なりとも関係のある選挙人に対しては洩れなく戸別訪問をしておかなければ、選挙の結果不利益を被るおそれがあるとの考えから、必要以上に戸別訪問をするという予期しない弊害が生じたため、昭和二七年八月の改正により例外規定が削除され、従前どおり全面禁止が復活したという経緯をもつものである。

この立法の経過に加え、わが国民の間において、今日においてもなお、選挙人として選挙権を行使するに当り、候補者の所属政党、その政策、政見あるいは人柄等に対する冷静かつ理性的な判断に基づいて、政治的意思を決定するというより、むしろ、情緒的な雰囲気や義理人情により候補者の選択がされがちである傾向が否定できないという世上一般に知られた事実を合わせ考えると、右の戸別訪問全面禁止の制度は、通常いわれるように、選挙人の居宅、その他一般公衆の目のとどかないところで、候補者若しくはその運動者において、個々の選挙人と直接対面して行なわれる投票依頼の運動が、買収、利害誘導等の選挙の自由、公正を害する犯罪にとって恰好の温床になるとか、戸別訪問が候補者、選挙人ともその煩に堪えないという現象的な面から、その規制の必要として採用されたものではなく、むしろ、議会制民主主義の根幹である選挙制度を維持するひとつの要請として、選挙人に対しては、右述のような情緒的な雰囲気や義理人情のような政治的意思の形成決定についての不合理な要素を排除し、冷静な理性的な判断に基づく公正な選挙の施行を確保する必要と、候補者に対しては、戸別訪問というきわめて手数のかかる方法により、無限の競争を要する選挙運動を、候補者同志の利益のために制限する必要からおかれたものと認めることができる。そして、右のような戸別訪問を禁止する必要性が認められる以上、選挙運動がその限度で制限を受けることのあるのもまた止むをえないこととして承認しなければならない。

もとより、選挙運動は、言論、文書等を通じて行なわれるのであるから、これに対する規制は多かれ少なかれ国民が憲法上保障されている言論、出版等の表現の自由を制限するものではあるけれども、表現の自由もこれが公職の選挙運動の枠内で行なわれる以上、選挙の公正の確保のために一歩を譲らなければならないことは明らかで、この要請のため、とられる手段、方法が必要、最少限にとどまる限り、右の制限が憲法上許されないということはできない。

そして、公職選挙法第一三八条第一項は「何人も選挙に関し、投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって戸別訪問することができない。」と規定し、戸別訪問の禁止が選挙に関するものであり、かつ投票を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつものの禁止であることを明らかにしている。すなわち、戸別訪問の禁止は右の規定に定めるとおり、要件としてきわめて限定的であり、さらに一応明確であると認められる。これにより制限される言論等の表現もまた、右の要件に該当する事実の存在を推測させるものに限られ、右の要件の存在とかかわりない言論等の表現については何らの制約を加えるものではない。

このように、同項の制限する戸別訪問禁止の規定は、禁止の必要上最少限の規制と解して妨げなく、またこの違反に対しては事後的に処罰されるという事後の制限である点等も考えると、公職選挙法の定める戸別訪問禁止の制度が憲法の保障する表現の自由を不当に制限する違憲のものということはできない。

表現の自由を制限するには、その表現がもたらす害悪が明白にして危険が現在していなければならないとする「明白にして現在の危険」の原則が主張されるのが通常であるが、右の原則は、言論、出版等の表現が表現内容により規制を受ける場合にその限界を示す基準として機能することができても、本件のように選挙の公正の確保の必要から、戸別訪問が禁止され、その結果表現の自由が制限されるという場合に憲法上許される表現の自由に対する制限の基準として用いることができるかどうか疑わしく、本件において当裁判所のとらないところである。

また、右の戸別訪問禁止の規定の要件の前提に右の原則を含ませて解すべきであるとする見解も、戸別訪問禁止の規定がこれに基づく具体的危険はもとより、抽象的危険すらも構成要件としていない形式犯として定められているのであるから、これを採用することはできない。

弁護人の主張二、について

弁護人は、種々理由をあげて戸別訪問禁止の不当性を主張する。

弁護人の見解も選挙運動の自由に関する数ある見解の中でひとつの有力な見解であることは当裁判所もこれを否定するものではない。しかし、世上多く議論される戸別訪問禁止の可否は、選挙運動の自由に関するものである。そこでは選挙運動に含まれる表現の自由に関する制限の問題として議論されているのではない。もちろん、選挙運動は言論、出版等の表現を用いて行なわれるのであるから、その規制については憲法上の制約があることは当然これを認めなければならないけれども、選挙運動をどのような手段、方法をもって行なわせるかは、選挙の公正の確保のうえにおいてきわめて重要な問題であって、これに関する規制は、立法府が許された裁量の範囲内で決定すべき事項であり、この裁量判断の結果、表現の自由が最少限制限されることがあってもやむをえないものである。従って、これらの裁量の行使が適正を欠き濫用された事実が認められない以上、戸別訪問禁止が選挙運動の制限として不合理であるとする多くの意見の存在することだけをもって、これが違憲性を帯びるということはできない。

弁護人の主張三、について

弁護人は、本件被告人の行為が実質的違法性を欠く旨主張するけれども、右述のように戸別訪問禁止は形式犯として規定されているものであり、弁護人のいう実質的違法性の発生を必要としないものであるから、この点の主張も採用することはできない。あるいは右の主張は、被告人の本件犯行が犯情においてきわめて軽微であり訴追に値しない旨の判断に基づくものと思われないでもない。もちろん、起訴不起訴の権限は原則として検察官に委ねられているのであるが、検察官の有する起訴不起訴の裁量も、全く自由ではなく、これらの手続が適正公平に行なわれなければならないことはいうまでもない。仮に、公訴の提起が、不公正に行なわれた場合は当該公訴は不適法として棄却を免れないものと解さざるをえないけれども、通常、公訴の提起はこれが弁護人によって争われない以上検察官の権限内で行なわれているものと推定する外なく、裁判所としては事件に対する実体的な判断をせざるをえない。本件においては、公訴提起の不適法について何らの主張もないし、これが不適法であることについての証拠も見当らない。

以上の理由によって、弁護人の主張は採用できないので、主文のとおり判決する。

(裁判官 浜秀和)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例